粗の多い空間
3月の「シネマ・デ・アエル 春の上映イベント」に参加してくれたイラスト作家の小池アミイゴさんが、ご自身のブログに今回のイベントについてとても詳細な記録と抱かれた思いなどを書かれています。
アミイゴさんのブログ記事はこちら。
ちなみにシネマ・デ・アエルは、「ほっこりみやこ実行委員会」という名称で市民有志が運営してるのですが、この「ほっこり」という言葉が、うーん、ちとダサくないか…!?
スタッフのみんなも薄々そう思っている。
なのに、ほっこり。
でもやってることは、、、、
以下、アミイゴさんのブログから抜粋引用させていただきます。
主催者のセンス、というか一種狂気じみた発想を感じる現場。
で、こんなソリッドなセンスの現場に「ほっこり」ってことば使うかぁ??
(中略)
ということで、夜の飲み会でその真実にせまってみたら、
これがやっぱとても面白かった!
なぜ「ほっこり」なのか?
それに強烈なアゲンストをぶつけるデザイナー。
受けて立つオーガナイズ側の有坂さん。
その有坂さんの考えに思いっきり共感。
ここではボクの考えに変えて言葉にしちゃうけど、
それは震災後に確かになってきたボクの価値観とも言えるけど。
カッコいい言葉で「わかってる」人を集めてる場合じゃなないぞ。
「ほっこり」に子どもやじーちゃんばーちゃんまでもが集まってくれる。
しかし、そこにあるものの質は高い。
カッコいいこと言ってなにか素晴らしげなものを啓蒙してゆくんじゃなくて、
今ある場所を風通しよいコミュニケーションのもと確認し、
そこから必要な未来をたぐり寄せてゆく。
そのためにも、もはやボクも「ほっこり」じゃなくちゃダメだーー!!
と実感した夜の狂気の酒席。
そしてこのシネマ・デ・アエルというプロジェクト、地元の有志中心のほとんど手作りによるイベントです。予算的にも人員的にも限界があるわけで、会場の設営だって空間デザイナーがお金をかけてやるわけではない。素人が手作りでこさえたこてこてにブリコラージュ空間です。
アミイゴさんがそのあたりについて、またこう書かれています。
専門的な知識や技術を持った方の手が入ってる現場とは言え、
やはり有志にの手によるワークショップ的手法で作られた空間。
目に見える不備もあります。
が、それがなんとも人間臭くて、
こういう展示って、ボクは基本孤独を持って取り組むのですが、
なんだろね、ずっと誰かと会話しているように設営を進められ、
結果、宮古の蔵の中ならではこその展示空間を創ることが出来ました。
多くのプロがかかわり、一冊の本なり一つの展示空間なりを作り上げる現場を、おそらく小池アミイゴさんは数々経験されてきていると思います。そういうプロフェッショナルな場と比べると、不束でおぼつかない、粗の多い空間です。そんな空間で自身の絵を展示しワークショップを開く。
これは、なかなかすごいことだと思います。いわゆるプロフェッショナルな空間の完成度ではなく、もっと空間の奥の方に漂う空気をとらえ、そこに価値を見出し、拾い上げるような、そういう展示の仕方。優しい眼差しです。可能性のあるものの見方です。これはとても嬉しいことだなあと。
そしてそれは、シネマ・デ・アエルというプロジェクトの根っこにある眼差しと、同じ質のものだったりします。
アミイゴさん、ありがとうございました。
そして内輪になりますが、シネマ・デ・アエルという空間を、自分の本業の仕事も持ちがながら、その時間外にイベントに向け作ってくれたスタッフのみなさん、ありがとう。こういう振る舞いが大きなメッセージで、しかも社会的機能を持つのだと僕は思います。